2008年10月29日水曜日

高橋尚子引退〜2003/11/16が暑くなかったら・・・

「尚子が引退表明」というスポーツ紙の大見出しにびっくりした。シドニー五輪の金メダルまではのぼりつづけ、その後は下がり続けた、という印象が拭えないので、なんとなくかわいそうな選手だったという気がしてしまうが、実際は何しろ金メダルをとって世界記録まで出したわけだから、功成り名遂げた大選手だ。
高橋選手の運命が明から暗に転じたのは、忘れもしない2003年11月16日の東京国際女子マラソンだと思う。
アテネで連覇を期待されていた高橋選手が満を持して臨んだ国内選考レース。前半を小気味よい高速ピッチで快調に2時間19分ペースでとばしたが、11月とは思えない陽気で25℃まで上昇した気温と強風にあおられて、30km前後から完全に失速。エチオピアのアレムに市ヶ谷の坂で抜き去られて2時間27分台でゴールしたレースだ。このとき優勝を逃したことと、タイムが平凡だったことがアテネ五輪の選考で大きくマイナスとなり、五輪代表を逃してしまう。
このときの東京国際女子マラソンは、実は、初の試みとして第25回を記念して男子も同時に走れる市民マラソンとして行われていて、僕も参加した。このときの暑さと風は実に走りにくく、ほとんどの選手が後半大きくペースダウン。疲労しきった後の後半の上り坂は実にきつく、僕もとにかく3時間20分をきって完走Tシャツをもらうことだけを目標に歩をすすめた記憶がある。給水不足などの運営面も問題視され、男子参加のの市民マラソンはこのとき1回の試みに終わってしまっている。
マラソンの大会ごとの条件の違いを補正してタイムを比較する試みをしている池上さんによれば、このときの高橋選手の補正タイムは、のちに条件の良い大阪で勝った坂本選手や名古屋の土佐選手を上回るともいえるものだったという。
このときは高橋が体をしぼりすぎてスタミナがなかった、という小出監督のコメントが大きく扱われ、高橋選手の調整ミスだったかのように言われたが、もしも、気温が20℃前後の例年通りの11月の気候であったら、あるいは快記録が出ていたのではないかと思う。少なくとも前半の快調な走りを見る限りでは。
そうすればアテネにも文句なく選ばれて、その後の人生も変わっていたのではないか・・・と残念に思う。

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