2011年4月10日日曜日

「カティンの森事件」を碑文からいつの間にか抹消

ちょうど1年前の4月10日、このブログにもとりあげたショッキングな事件があった。「カティンの森事件」70年の追悼式典に出席するためロシアのスモレンスクに向かっていたポーランド・カチンスキ大統領搭乗機の墜落事故である。
なぜ僕がこんなにポーランドやカティンの森にこだわるかと言うと、日本陸連のチームドクターとして2回もビドゴシチへ遠征したことがあるうえ、その「予習」としてワイダ監督の「カティンの森」も岩波ホールで見たからだ。 西からはドイツ、東からはロシアに圧迫され虐げられてきたポーランドの悲劇の歴史に関心を持たずにはいられない。

その1周年に当たる今日、ロシアの前時代性を示すニュースが飛び込んできた。。

いつの間にか交換…=ポーランド大統領墜落死の碑文―ロシア
時事通信 4月10日(日)10時15分配信
【スモレンスク(ロシア)AFP=時事】2010年4月10日、ポーランドのカチンスキ大統領(当時)らが乗った旅客機がロシア西部スモレンスク郊外で墜落してから1年、コモロフスキ現大統領のアンナ夫人が9日、遺族一行を連れ事故現場を訪れた。しかし、激しい雪の中で一行が目にしたのは、いつの間にかロシア側によって交換された碑文だった。
旧碑文には、スモレンスク郊外で第2次大戦中、ポーランド将校が旧ソ連秘密警察に大量虐殺された「カチンの森事件」について明記されていた。しかし、交換後の碑文からは抹消されている。 

写真のキャプションには、「ロシア西部のポーランド大統領機事故現場にあった旧ソ連秘密警察による大量虐殺事件、「カチンの森事件」について明記された旧碑文(上、8日)と、抹消されている現碑文(下、9日)。ロシア側によって交換された」と書かれている。

1年前の事故後はさすがにロシアも気が引けたと見えて、やや大袈裟に哀悼の意を表して追悼式典を主催したり、宥和ムードを演出したりしていたが、陰ではやはりこういうことをしている。ソ連、KGBの尻尾が残っているということか。背景にはポーランドに対する蔑視も潜んでいると思われる。
日本に対しても、今回の震災直後には北方領土やガス田開発、電力供給に関して驚くほどの甘い発言がロシアから聞かれていたが、こんなのはジェスチャーにすぎないと思ったほうがよさそうだ。油断してはならない。

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