2011年4月12日火曜日

JOC医学サポート部会・被災地支援報告(後)

大船渡レポートの後半を。


県立大船渡病院は大船渡市だけでなく、北の釜石市や南の陸前髙田市の「面倒」も見る役割を担っています。
院内は救急救命センター内でのみまだ自治医大などの応援部隊が活動していましたが、徐々に縮小中とのこと。先週までは各科の外来は一応急患や妊婦健診のみの対応でしたが、来週からは内科の内視鏡や超音波などの検査外来も始まり、通常通りの外来が復活するようです。
医局内も特に騒然とした雰囲気もなく、避難所や壊滅した港湾部の様子が嘘のように落ち着いています。
むしろ県立病院のドクターは自分の病院の仕事のみで、案外避難所の状況は直接ご覧になっていないように見えました。医師宿舎も高台の病院のすぐ横ですし。

結局2泊の県立大船渡病院産婦人科当直中は、救急センター当番医から婦人科手術後のイレウス患者を入院させておくとの報告を受けたのと、分娩1件だけと少々「拍子抜け」でした。あまりお役に立てなかった感が強いです。今後産婦人科医として応援に入るなら、岩手医大や東北大などを通して、「超急性に生じた分娩施設の集約化」が起きてしまっている病院へ適切に配分してもらった方がよさそうです。地域中核病院に常勤医を送っているのは結局大学ですから、旧来からの大学の機能が生きるように思います。

一方、3日目・4日目もJOCチームとして避難所の診療を続けました。血圧測定、降圧薬内服相談、インフルエンザ検査、イナビルの処方など、にわか内科医となりました。
現地の支援医療チームの「配置」は主に、大船渡市保健福祉課の保健師達が行っていますが、これがなかなか現場の実態に即した適切な対応とならない。どうしても医者が余ってヒマにしている避難所や、数日間医療チームが訪れない避難所などができてしまいます。このあたりが今後の課題かもしれません。
さらに市が違えば、陸前髙田からわざわざ治療を受けに来た女性によれば、医療チームの姿を避難所ではいちども見たことがないと言っていました。全体を見渡して、医療支援を必要とするところに、割り振っていくというのは難しいです。
3月30日をもって、大人数を誇る徳州会チームが大船渡から引き揚げていきました。TMATと名乗るこのチームは徳州会病院の勤務者のみで構成されているわけではなく、徳州会の呼びかけに応じて集まった一般の医師などが過半数を占める、ということを初めて知りました。市民文化会館を拠点に、徳州会大船渡分院とも呼べるほどの充実した医療体制をつくりあげており、専用診察室を完備し、医師・ナースが24時間常駐で、1日1回の回診までついていました。5人のドクター、10人近くのナースに、運転手、広報、看護学生まで揃いのユニフォームで送り出す、しかもそれを大船渡だけでなく数都市で展開するのですから、見事な組織力です。
3月31日からは市民文化会館をJOCチームで引き継ぎましたが、同レベルの診療体制維持は困難でしたので、治療が必要な「患者」はどんどん地元医に行ってもらう方針で臨みました。
開業の先生のところには通常ルートで薬剤も納入されるようになっていますし、我々のタダ診療で開業医の収入源を奪うようなことはいけません。
私が大船渡へ行ったのは、被災者の直接支援から、現地の医療体制復興の支援へと徐々に転換すべき時期だったと言えます。

この医療体制復興支援は今後長い年月が必要です。多くの方が支援活動への熱意を失うことなく、継続的に支援を行っていくことを祈念します。

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