2011年12月29日木曜日

新田次郎「聖職の碑」〜33年後の邂逅

小学校の夏休みには、映画の割引券が配布されたものである。2年生のとき(昭和53年)に配られたのがこの「聖職の碑」であった。ずぶ濡れになりながら肩を寄せ合って暴風雨から身を守ろうとする少年達の姿が割引券にプリントされていたのを鮮明に記憶している。実は前年(昭和52年)には「八甲田山死の彷徨」の割引券をもらって父親と映画館に行き、冬山遭難のあまりのおそろしさにショックを受け、しばらく一人で夜トイレに行けなくなったものだ。そのトラウマもあって、またしても遭難モノである「聖職の碑」は見に行かなかったはずである。よくも当時、新田次郎原作の山岳遭難映画ばかり小学生へ推薦していたものだと思うが、深い意味はなく東宝がプロモーションのために配っていただけのかもしれない。
気になりつつも結局見ることのなかった「聖職の碑」だったが、自分が山を登ったり走ったりするようになって「剱岳・点の記」を初めとする新田次郎の著作に触れる機会が増えたことをきっかけに、このたび原作を手に取ることになった。
大正2年8月、中箕輪尋常高等小学校の生徒・教員ら37名が修学旅行として伊那駒ヶ岳に向かったが、山頂付近で大暴風雨に巻き込まれて11名の死者を出した事件が題材となっている。新田次郎らしく綿密な史実考証、聞き取り調査を行ったうえで、悲劇の全体像が克明に描かれる。些細な装備の違いであったり(冬ジャケツを持参していたか、袈裟を確保できたか)、下山路の選択の違いであったり、わずかな差異が生死を分かつところに運命の残酷さと山の厳しさを感じる。やはり3000m級の山岳は8月といえども低体温症→凍死のリスクを忘れてはいけないのだ。今年の夏に立山で3000mを経験したばかりなので、とりわけ実感が湧く。
また、自分を犠牲にしてでも一人でも多くの少年の命を守ろうとする教員達の姿も胸に迫るものがあり、「聖職」のタイトルを捧げた作者に共感できる。
さらに、こうした遭難事故においては、自然の驚異にさらされた極限状態におきるパニックを他者が後から想像・理解することの困難も浮かび上がる。
作者の創作によると思われる身分違いの恋の悲劇の描写も、小説の時代と地方性を実感させるのに大いに役立っており、心中の場面では不覚にも涙してしまった。
僕もゆくゆく必ずや駒ヶ岳に登って、遭難記念碑(慰霊碑でなくどうして記念碑かというのも第三章のテーマとなる)に手を合わせたいという気にさせられた一冊である。
講談社文庫はしばらく絶版になっていたようだが、本年(平成23年)6月に新装版として再発行されたから、現在は手に入りやすくなっている。

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