2012年3月6日火曜日

びわ湖毎日マラソン感想〜五輪選考が難しくなっちゃった

最近は、医務員だったり自分のレースがあったり仕事が忙しかったりで、主要マラソンは後からVTRで早送りしながら見ることがほとんどだったが、久しぶりにびわ湖は最初から最後までリアルタイムでテレビ観戦できた。
当初は低温無風の好コンディションかと思われたが、降り続く小雨が結果的にレースに陰を落とす。ウェアやシューズが雨で濡れると、特に気温10℃以下の低温下では間違いなく選手の体温を奪い、体力を消耗させる。調子よく走っているときは感じないが、いったんペースダウンし始めると体温を維持するので精一杯。冷え始めた体に再度点火するのは容易なことでなくなる。したがって、ペースダウンしながらも何とか持ちこたえて粘る、というレースはなかなかしにくい。へばるととことん落ちる。エネルギーを燃焼させ続け、ラストへ向けてビルドアップ気味に上げていけた者が最後に笑う、実際にそんな展開となった。
レースの分岐点となったのは25km。ペースメーカーが離れたと同時に、力が余っている(と錯覚した)外国人選手が一気にペースアップする。実力がついてきたことと好調とを他覚・自覚していた堀端選手(旭化成)は、外国人と勝負しないと五輪に出ても意味がない、と少々意地になっていたのではなかろうか。ペースアップに一人ただちに反応して、この時点では大器の片鱗を見せていた。やはり堀端強い、と観戦者は思ったに違いない。ところがここで無理をしたことが裏目に出る。おとなしく五輪選考に徹して日本人集団の中にとどまっていたら・・・展開は違っただろう。
これは出岐選手(青山学院大)についてもいえる。何しろ初マラソンだけに、25km地点の余裕度自覚と実際の余力とに乖離があったと思われる。マラソンの経験とはとりもなおさず、自覚余裕度から残り距離を最高効率で走りきれるペースを算出する能力アップのことだ。しかもガッツ型だけに、先頭につく余裕があるのにつかないというのは考えられなかったのだろう。出岐選手ももしも日本人集団の中で自重していたら・・・五輪は夢でなかったかも。
さて、堅実で賢い走りの中本選手(安川電機)が後方から着実に追い上げてきて日本人一位は決まった!かと思いきや(僕もそう思った)、実は無理に中本選手の追い上げにもついていかなかった、というより「無理」を終盤まで温存しておいた山本選手(佐川急便)が後方から猛追していた。1500m 3分49秒のスピードはこういうときに強い。中本選手にスパート力が全くないことは(数回見ただけの)僕でもわかっていた。あっさり競技場で逆転。最後まで「燃焼力」を温存していた山本選手の勝ち!であった。

さてこれで五輪選考が難しくなった。もちろん藤原選手と山本選手は決まり。問題は3人目。巷では中本選手と前田選手(九電工)の争いで、中本選手有利、大穴は川内選手ということになっている。これに堀端君を加えた4人は選考レースの成績だけでも一長一短。中本選手は世界選手権で堀端選手に負けているし、前田選手は福岡で川内選手に負けているし、川内選手と堀端選手は勝負をかけた選考レースで失敗してるし…これは選ぶのが難しい。
ここで、あえてこの4人が2回ずつ走ってる選考レースのうち、成績の悪い方(失敗した方)をいっさい考慮しないことを提案したい。
そうなると比較的シンプル。世界陸上7位入賞の堀端選手が、(東京6位やびわ湖5位よりも)順位的価値、(本番で入賞してくれるかもしれない)期待値とも一番高いように思うがいかが。ちなみに僕は日本陸連医事委員会に属してはいるが、選考には全く発言権がないので、完全に外野の意見である。念のため。

山本選手の好きな言葉「因果応報」というのが「ざわめき」を呼んでいるが、これは否定的な意味ではなくて、野口みずき選手の名文句「走った距離は裏切らない」の言い換えではなかろうか。実際12〜2月の3ヶ月間、毎月1200kmという驚異的な練習量でびわ湖に合わせてきたという。丈夫なのが取り柄、と自分でも言っていたが、実業団の枠から飛び出た個性的な藤原選手や川内選手とは対照的に、実業団のメリットを生かした(川内選手には一日平均40km走る時間はないだろう)、もっとも実業団らしい選手が勝ったことになる。やはりマラソンへのアプローチはいろいろだ。そこがマラソンの奥深さなのだろう。

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